ブラタモリのブラ記録。静岡県浜名湖。なぜ浜名湖でウナギの養殖が発展したのか?ウナギといえば浜名湖の理由。

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NHKの大人気シリーズ、ブラタモリ。見ているだけで癒されるし、勉強にもなります。その土地の歴史、秘話、地形に残された痕跡に出会いながら、街の新たな魅力・文化などを再発見していく番組です。

いつの日かその土地に行くチャンスがあったならば、その前にブラタモリの記録を読み返しておくことで何倍も楽しむことができると思い、番組の内容を忘れないうちに、このブログの中に「ブラ記録」としてポイントだけを記しておきたいと思います。

浜名湖でウナギの養殖が発展した理由?

昔からウナギと言えば浜名湖が頭に浮かぶ方が多いと思います。うなぎパイなどのお菓子のイメージもあります。農林水産省の資料によると静岡県の養殖ウナギの生産量は平成30年に全国4位でした。

江戸時代の絵師、歌川広重が描いた「東海道五十三図会」の中にもタイトルが「荒井 (浜名湖) 名ぶつ蒲焼」という作品があり、ウナギが描かれています。このことからも浜名湖は江戸時代からすでにウナギで有名な場所であったことがわかります。

明治時代になり浜名湖で日本初めての大規模なウナギの養殖が始まると、浜名湖ウナギの知名度は日本中に広がっていきました。そして一大産業に発展、昭和40年には静岡県の養殖ウナギ生産量は日本全体の7割を占めるほどまで大きくなりました。

浜名湖の水質は「汽水湖」

浜名湖の水質は海水と淡水が混じりあった「汽水湖(きすいこ)」です。そして汽水であることがウナギの養殖にとってとても良い条件のひとつでした。

約6000年前までは浜名湖一帯は海でした。現在の陸地や谷の中まで海水が入り込んでいました。その後、湾の入り口には砂がたまり砂州(さす)ができ、川と海にわかれていきましたが、一部現在も川と海の繫がった場所があります。

ウナギの養殖にはなんといってもウナギの稚魚である「シラスウナギ」が必要です。

天然ウナギの一生は日本から3000kmほど南に離れたマリアナ諸島沖でたまごを生みます。ふ化したウナギは太平洋黒潮の海流にのって成長し、シラスウナギとなって日本の沿岸にやってきます。

シラスウナギは汽水域でしばらく過ごし、ある程度大きくなるとほとんどが川の上流の淡水域で過ごします。そして成長してウナギになるとまた海へ戻っていきます。

海から川へ、川から海へ移っていく過程で水質が海と川の中間である「汽水域」はウナギが体を慣らすのにとても重要な場所になります。

汽水域であった浜名湖は「シラスウナギ」を集めるのに、養殖するのにとても良い環境であったのです。

きれいな真水が地下水として湧き出ている

たくさんのウナギを養殖で育てるには「たくさんのきれいな水」も欠かせません。浜名湖の水は汽水なので細菌も多く、養殖には適していません。

ところがこの一帯はきれいな真水である井戸水もたくさん湧き出ているため、養殖にその井戸水を使うことができます。

汽水湖のすぐ近くで真水が湧きでるのは、この一帯の地層に秘密があります。

この一帯の地層は浜名湖が海に覆われていたころに積もった「泥の層」の上に「砂礫層(されきそう)」が積もった地層になっています。

「泥」の上に「砂」。ですから雨水は「砂」を通りますが、「泥」は水を通しにくい性質があるため、2つの地層の境目から真水が湧きだしているのです。

浜名湖一帯の地層を作る「泥」と「砂」。この「砂」は浜名湖から東へ20km離れたところにある「天竜川」が運んできた「砂」です。

天竜川は全長213kmの大きな川。長い年月をかけて大量の砂礫をはきだし、その砂が浜名湖一帯の泥の上に砂の層となって積もり、地層の間から「きれいな水」が湧き出るようになっていったのです。

ウナギを育てる養殖池がつくりやすい

養殖には真水をためておく池が必要になります。浜名湖にはこの池をつくるための条件も備わっていました。

浜名湖のほとりに今から100年以上前に養殖のためにつくられた「養殖池」の跡地をみることができます。それは石垣です。ほとりにある「石垣」は養殖池をつくるために池の周りを囲んだ石垣です。

石垣はチャート岩でできています。チャート岩とは海にいた放散虫の化石からできた岩で赤茶色の岩肌が特色、固く風化にも強いため、ウナギの養殖池を作るためにチャート岩を切り出し、石垣を組んだのです。

現在も浜名湖の湖畔では2億年前にできた赤茶色のチャートの崖を岩肌に見ることができます。

このように湖を埋め立ててつくった養殖池を「川池」と呼び、浜名湖では大正時代に東京ドームおよそ75個分の川池がつくられました。

ところが問題として湖を埋めることでカキや海苔などのウナギ以外の産業、養殖に悪影響がでてしまい、浜名湖の湖を埋め立て養殖池をつくるのは限界になってきました。

なぜ養殖池をさらに拡大できたのか?

浜名湖から東へ8㎞ほどの場所で養殖池をさらに拡大できた秘密を知ることができます。現在の「東海道」を歩いていくと道の両側が下にくだっていて、東海道が高台にあることがわかります。

この高まりが続く地形のことを「浜堤(ひんてい)」と言います。浜堤は海の波によってつくられた砂の高まりで、浜名湖の東側には浜堤が海岸線に沿って何列にもわたってつくられています。

浜堤をつくる地質は「砂」ですが、この一帯の砂は浜名湖一帯の泥の上にあった砂の地層と同じく、「天竜川」によって運ばれた砂です。浜堤も天竜川によってつくられた地形なのです。

浜堤は池づくりに必要な「低地」を生み出します。浜堤と浜堤の間の水はけの悪い「低地」は住むには不便ですが、池とするには最適な場所となります。

現在もこの低地には多くのウナギの養殖池があります。

この低地の底は砂と石でできているため、養殖池として活用するとウナギが体を休める寝どことしても非常に適した地形になっています。

現存する昭和のはじめにつくられた最大の養殖池は1500坪あり、この池の水を抜くと5万匹のウナギが現れる大きな養殖池となっています。

このように湖を埋め立ててつくる「川池」ではなく、陸地につくった養殖池を「堀池(ほりいけ)」と呼んでいます。堀池は昭和40年代までつくられウナギ養殖の生産を支えてきました。

浜名湖の東一帯には、「浜堤」、「堀池」、「川池」が海岸線に沿う形で平行に広がっているのです。

ウナギの大きさの選別と出荷の仕上げ、流通

養殖池で育ったウナギは漁協の選別場で人間の目によって大きさごとに仕分けされます。そして出荷前の最後の仕上げとして、きれいな湧き水、地下水で洗われて泥や汚れが落とされます。

この漁協、選別場のすぐ裏手は電車の線路になっています。

浜名湖の南部は日本の交通の大動脈である東海道本線が通っていたため、ウナギを東京、大阪方面へその日のうちに出荷することのできる流通に最適な場所だったことに加え、電車の中からもこの浜名湖一帯のウナギ養殖池や漁協を見ることができるため、ウナギ養殖の「宣伝」を行うことができたのです。

太平洋と浜名湖を結ぶ「今切口」。ウナギ養殖の始まりの場所

間口がわずか200mほどの「今切口」。浜名大橋がかかっています。太平洋と浜名湖を結ぶこの今切口があったからこそ海水と淡水が交わり、浜名湖は汽水湖となることができました。

海と湖を結ぶ「今切口」は室町時代の「明応の地震」によって砂州が破壊されたことでできたものでした。

この「今切口」があるからこそ、浜名湖から黒潮、太平洋、マリアナまで繫がりウナギの稚魚シラスウナギが3000kmかけて浜名湖までやってくることにつながっていったのです。

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